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Weblog_ShinobuTERADA

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何かを。

2018/11/15 00:47
月曜、火曜と一泊二日で旅に出ていました。
目的はあったと言えばあったのですが
それほど明確でもなく。

数年前にお世話になった方の生まれ育ち、
今は眠っている地を見に行きたくなった、
という。

速い電車で大きな駅に着いて、
そこからはディーゼルの小さな電車を乗り継いで。
近付くにつれて、窓から見えた海がきらきら光って
綺麗でした。

ロッカーに荷物を入れて駅舎の外に出ると、
とても静か。
あてなど無いわけなので、
日が暮れるまであちこち歩いてみることにしました。

街を歩いている人はとても少なくて、
商店街はほぼシャッター通りと化していて。
とりあえず海辺へ。

砂浜には誰もいません。
しばらくそこでぼんやりしていました。

初めて出会ったときのこと。
交わした会話や、最後に話したことなど。
その人はもうこの世にはいないわけなので、
会って話すことは二度と出来ないわけです。
そんなことは当たり前なのですが、
改めて気が付くと愕然とします。

兄を亡くして以降特に、
こうした感慨を抱くことが増えました。
(自分の年齢のせいもあるのでしょうけど)
人間だけではないですが、
生命を失い、肉体を失うとそれでお終いなのでしょうか、
それが不思議で仕方ないとともに
悲しくて悔しくて堪らない気持ちになります。
生と死の境目とは一体、
それについて考えることも多いのですが
答えなど分かるはずもなく。

そこはひっそりとした港町。
北の雪国なので、車道の中央には
凍結防止の温水がスプリンクラーのように
吹き出ていたり。
小さな堀沿いや、住宅街、裏通りなんかを
ひたすら歩き回りました。
いるはずもないのに、会えるような錯覚を抱きながら、
しかし会えるはずもないと当然分かっていて。
この道をあの人も子供の頃に通ったのだろうな、
などと思いながら歩いていると
胸が苦しくなってきました。

その晩は宿に帰り着いても眠れず、
悶々としていました。
後悔、何故もっと優しく接することが出来なかったのか。
そんな思いがいっぱいになって。
少しでも楽しい思いをしてもらえただろうか、
思い出されるのは笑顔ばかり。
気遣いの出来る、真面目な人だったから。

夜が明けて、宿の窓から眺める古い瓦屋根が並ぶ街と
その上から覆い被さる、分厚い灰色の雲が
しんみり刺さります。
二日目も昼までいるつもりでしたが、
正直なところ気持ちがしんどくなってしまい、
朝早くに出立することにしました。

この数年間のもやもやを吹っ切るために来たのではないし、
気持ちを切り替えようと無理をするのもどうかな、と。
生きていくと、その跡には過去が、歴史が作られていきます。
その上で先のこと、未来を見据えて生きていく。
自分のやるべきことは何だろうか、
そんなことをより一層考えることになりそうです。

結局のところ、自己満足のための旅に過ぎなかったのかも
しれませんが。
色々なタイミングが合って、それもおそろしく偶然で。
(あのときのイベント最終日の次の日に行くことになるとは)
そして来年は七回忌になるのですかね。
せめて安らかであることを祈りつつ。
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そまる。

2018/11/10 00:11
とても環境に影響されやすい、
染まりやすい。
そんなことも最近ようやく気が付いたこと。

都心の人ごみの中に半日でもいると、
くたくたに疲れてしまう。
(そうした場所が好きな人もいると思いますが)
家に帰ってくると、
自分の心の底にあるフィルターのようなものが
汚れている、そんな気がする。

(別にスピリチュアルなことを書きたいわけでもないし、
そうしたことにそれほど興味はないんですけど。
いえ、そういう人たちを否定はしませんが)

嫌みを言ってくる人なんかと接すると
同じような感じになる。

良くも悪くも染まりやすい。
これは気をつけないとな、という。
かと言って、完璧に環境を整える、なんてことも
現実には難しいわけで。
それでも出来るだけ居心地の良いように
していったほうが良いのだろうな、と。

人がいっぱいいたり、
騒がしい場所が苦手。
静かな場所が好き。
自然に触れるのも好き。

以前は自分は都会が好きだと思っていたんですが、
ちょっと変わりましたね。
いや、前からそうだったけれども
思い込みがあったのか。

住む場所はね・・・変えるのは大変ですし。
苦手な人を避けていたらバイトなども不可能に
なってしまう。
そこで、時間のあるときには自然の中に
身を置いたりすることにしています。
理由は分からないのですが、
僕は水に惹かれるので、海とか川とか。

人との関わり。
ここ数年、会うと嫌みを言ってきたり、
言葉で攻撃してくる人が増えました。
(美術の世界での話ですが)
なので、そういう人たちとはなるべく距離を置いて、
集いそうな場所にも行かないことにしました。
これは結構効果があって、
メンタルも落ち着いてきました。

美術以外の、例えばアルバイトでも
パワハラに遭ったり、暴言を吐かれたりしました。
こういう目に遭いやすい、というのは
ひとつには僕が舐められやすいのだと思います。
「こいつには酷いことを言っても大丈夫だろう」、
そう思われているのだと。
こっちが強めに意見をすると、驚かれます。
え!?って。

SNSに於いても、同じで。
あまりにも嫌な絡み方をしてくる人は
ブロックすることにしています。
前はそこに罪悪感があったのですが、
自分を守るためにはそうも言っていられない。
ブロックしてみて分かったのは、
それでこっちが困ることは全くないということ。
結局、向こうが感情をぶつけたかっただけなんだな、
と気が付きましたね。

友達も少なくて良い。
互いに互いを尊重し合える人と仲良くしたい。
合わない人と無理して交流しても疲弊するだけ。
幸い、今仲良くしてもらっている人たちは
信頼出来るし、とても優しくてありがたい。
いつも助けられている、
というか助けられてばかりで(笑)。

生き方としては、
出来れば外で働かないで生きていけるようになりたいですね。
そのために今、色々と動いているわけですが。
自宅で仕事をして、稼ぐ。
そうした方向に少しずつ持っていきたいと考えています。
一朝一夕にはいかないでしょうけど。
日々努力、です。

こうしたことも、自分自身を大事にしたい、
という考えから来ています。
良い部分を伸ばす、それですね。
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色々。

2018/11/08 20:36
色々と吹っ切れてきたのかもしれない、
というか開き直りなのか。
そんな感じの最近です。

言いたい人には
言わせておけばいい。
どうせこっちのことなんかよく知らないわけですし、
こっちのために何かをしてくれるわけでもない。
(具体的な利益がどうとか、ということではないです)
そうした人たちは結局、何者でもないわけですよね。

言いたければ言ってれば?
そんな風に思えています。
自分のことに集中出来ている、というのが
大きいのかもしれないです。

それから、無理はしない。
どう頑張っても出来ないことはやらない。
時間を無駄に出来る年齢ではないし。
そのことに関してもめんどくさいことを言う人が
出てくるかもしれないけど、どうでもいいですね。

出来ないことをやらない、ということは
他の人に負担をかけてしまう、ということ。
そこは感謝しないといけないと思います。

自分の特性、良い部分を活かすには、
何をどうしたらいいのか?
そこを求めて実験中です。
(なかなか結果は出ませんが、焦らず)

この年齢(46歳)になってようやく、
自分の長所短所について真剣に考えるようになりました。
今までかなり無理をしていた部分もあり、
精神的にもしんどかったことも多々ありました。
自身で気付かなかった可能性もある。
それを発掘していくのは楽しいことですね。

自分自身を労り、大切にしないといけない。
幸い、周囲には優しく思い遣りのある方々が多いですが
まずは自分が。
でないと、人に優しくなんて出来ませんし。

冷たい人たちは勝手に離れていきました。
不思議なものですね。
暖かい友人知人を大事にしていきたいです。
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対象。

2018/11/08 00:04
時間が解決してくれることって、
結構たくさんあって。
でもそれも難しいこともあるというか。
とても根深い関係性、
それも時間が影響するような気がしますけど。
関わった時間に比例するのかどうか。

何かとても腹の立つことがあったとして、
その相手を憎んだとして。
「赦せば楽になる」と分かっていても、
なかなかそれも出来ず。
誰かにネガティブな感情を抱き続ける、
って疲れるし、
無駄なエネルギーを費やすだけなんですけど。

理性では分かっていても出来なかったりして。

そこで、無理をして赦す必要もない、と。
そう思えれば次の段階に進んでいるような。

というかですね。
その憎しみの対象が消滅したらどうなるでしょう。
と、何やら不穏な感じですが、例えば、です(笑)。
そうすると、その憎しみは空振り状態になるのでは、
そんな考えが湧いてきまして。
だとすると、その憎しみというのは何のためのもの
だったのか、という。
ぶつけていた対象が消え去った後、
取り残された感情は消えるのか、
熾火のように燻り続けるのか。

その感情は意味の無いことかというと。
当人にしか分からない事情もあり、
そう簡単に解除出来るものでもない。
意味が無い、なんて外野には分からないわけです。

意味の無いことはもう止めた、仲良くしよう、
とも思い切れない。

距離を置く、ということはとても重要で。
そうしているうちに気持ちが柔らかくなるかもしれないし、
ならないかもしれない。
赦せないからといって、後悔するとも限らない。
後悔するかもしれない。
感情を無理に捻じ曲げることもないですし。
自分の心は素直に、大切にすべきかと。

そんなことを何となく考えてみるのでした。
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時の流れの残酷さ。

2018/11/04 23:38
時折、無性に過去のことが思い出されてきます。

楽しかったことと、悲しかったこと、
怒りなどなど。

最近、「時間」というものに興味がありまして。
時間、って何なんだろう?
宇宙レベルで捉えれば、
時間というものは絶対ではないのだろうか、
ブラックホールの内部では、云々。

といっても、勉強しているわけではなく、
ぼんやり考えているだけなのですが。

時間が絶対ではないとしたら。
ビデオ映像というものに、
意外と真実が隠されているのかもしれない。
一定の時間は保存することが出来て、
巻き戻し、早送りが出来る、とか。
何度も再生可能、とか。
丸ごとダウンロード出来たり。

妄想ですけど(笑)。

(「視覚」というものにも興味あり、なのですが
それについてはまた)

思い出、について。
記憶はあくまでも記憶なんでしょうけど、
脳内には時間を保存できる機能があったりして。
でも外部にはシェアすることは難しい、とか。

時の流れの残酷さについて。
いくら悲しいことや腹の立つことがあっても、
何事も無かったかのように、時間は過ぎていく。
個人の思いは流れに飲み込まれて、
底に沈殿するか、分解されて。
それはもう、圧倒的な力で。
後々になって、次の世代が来たら
すっかり忘れ去られてしまう。
それどころか誰にも知られず、埋もれて。
その積み重ねで歴史が作られ、「今」がある。
「今」の薄い層の積み重なり。
僕らはウェハースの欠片です。

時の流れの優しさについて。
流れの中で、つらかった思い出も粉々にしてくれる。
(消えるわけではないですが)
その優しさ。


断片的な呟きになってしまいましたが。
「時間」と「視覚」についてぼんやり考えるのが
自分の中で流行っています。
それらについて、発見をしたり、
具体的な答えを出したいわけではないんですけど。
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色々と。

2018/11/01 01:15
今日は、神奈川県立近代美術館(葉山)に
「アルヴァ・アアルト――もうひとつの自然」という展示を
見に行きました。

アルヴァ・アアルトは、
フィンランドの著名な建築家ですね。

この美術館、周辺の環境も含めてとても好きなんですが、
何しろ遠い。
僕は横浜住みですが、それでも遠く感じる。
逗子駅からバスで二十分かかりますし。

でもこの展示は見たかったので、
頑張って行きましたよ、ええ。
天気も良く、気温もちょうどいい日。

やっと着いてチケットを購入、
さあ見るぞ、という段になって館内が暗転。
あれ?
・・・停電だそうで。

スタッフの方の説明によると、
どうやら葉山全域(横須賀も)が停電になったらしく、
いつ復旧するか分からないという。
どうしよう、と思ったのですが
特に急ぐ用事もないので待つことにしました。

が、一向に復旧せず。
ちょっと苛々してきた頃、
マネージャー(?)らしき女性が
「お帰りになる場合は、払い戻しと、招待券を差し上げます」
とロビーで待っている僕らに説明してきました。

うーん、分かってない。
美術館側も困ったでしょう、
停電は美術館の責任ではないですし。
対応についても、それがぎりぎりの線だったと想像できます。
でも、でも、お金の問題じゃないんです。
時間を作って、遠くから頑張ってやって来たわけです。

高齢の男性のお客さんが
「遠くから来たし、10分でもいいから今日見たい。だから待つよ」
と言っていました。
そう、そういう気持ちで来たわけです。

結局、40分くらい待って、そろそろ帰ろうかな・・・と
諦めかけたとき、電気が・・・!
待っていて良かった。
いや、良くない。
何故なら、諦めて帰ってしまった人たちもかなりいたようだったから。

展示自体は素晴らしいもので
内容には満足したのですが、なんともすっきりしない。
払い戻しとかではなく、閉場時間を伸ばす、とかのほうが
良かったのでは(それは無理なのかな)。
とか、
でも美術館側も悩んだだろうし、仕方ないのかな。
とか、
予備電源は無いのか。
とか、色々と考えさせられるものがありました。

ちなみに、展示内容はとても良かったのですが、
展示方法には結構疑問あり。
とにかく、たくさん詰め込み過ぎ!
今日は鑑賞者も結構多くて(平日昼間なのに、びっくり)、
部屋と作品によっては見にくかったですね。
それは狙い過ぎでは?という設置方法や、
それをそうやって置く?というのもあって。
見づらいよ!っていう。
この美術館は広さ的に割とコンパクトなほうなので、
仕方ない点があるのかもしれないけれども。


その後、横浜に戻ってきて、
某所で展示を見る。
しかし、そこでもちょっとトラブル?が。
基本的には野外展だったのですが、
屋内にも少し作品があって。
そこに知り合いが展示していたので見たかったのですよね。
でも、受付で
「今日はレセプションなので、中は入れないんですよね」
と言われてしまい。
その時点で心折れました、物申す力も無く。
そんな告知なかったと思うんですが。
というか、会期始まってるのに、
なんで一般客を締め出して関係者でレセプションを開くのか。
関係者以外は見れなくても良いのか・・・。
この場所では、こういう目に遭うのは二度目。
たぶん相性が良くないんだと思います・・・
場所との相性ってありますから。
そこの感覚は信じたいです(過信は禁物ですが)。

今日は色々ありましたが、
そういう日もありますよね、ってことで。
これはもう仕方ねえな。
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青春と、奇跡の季節。

2018/10/22 21:01
美術の活動をしていく中で、
自分にとって大切な場所が増えていきました。

滞在制作をするようになってからはそれが特に
顕著になったと思います。
これはとても幸運というか、
そうした機会を得られた、与えてもらえた、
というのはとても幸せなことだと感じます。
残念ながら遠すぎてもう行く機会は無いかもしれない、
そんな場所もありますけど(外国とか)。

それぞれの場所について思いを馳せると、
そこで感じたことが胸の中に満ち満ちてきます。
風の匂いや温度、出会った人たちの優しさ、
印象的な街並みなど。
そのひとつひとつは心の奥底に刻まれ、
宝物になっています。

思い出すと泣きたくなるようなこともあります。
悲しいこともありましたし、
つらいときに触れた人の優しさとか。
静かなひとりの夜などに悲喜こもごもが蘇ると、
その瞬間、時期に引き戻されますね。

時間は戻らない。
その時の場所にも、そこにいた自分自身も戻らない。
奇跡のようなもので、
出会いと別れがあって、残るのは思い出だけ。
本当に、それは奇跡。

サッカーのチームでも、
その時期のメンバーだから強かったというのがあります。
選手、監督、その他の条件が良かったときは
「運」という言葉でも片付けられないほど強い。
それはそのときに合致したものがあって、
瞬間の奇跡なんです。

季節が来ると、何かのスイッチが入って、
記憶が蘇ります。
それは時に苦しくもあり。
去来するのは、色々な人の顔。

もう二度と戻らない季節。
奇跡の季節。
それこそが青春なのだと最近思うようになりました。
きっと、青春は年齢ではないのでしょう。
記事へなるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 0


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