発熱デトックス。

昨日一昨日の発熱もようやく通常に戻り。
心身ともにデトックスされた感じです。

ここ数年、少数の人たちから嫌な絡まれ方をされることが
多かったのですが。
それが少しずつ僕の心を蝕んでいたようです。

どんな人にも長所と短所があって、
僕もそうだと思うのですが。
その自分のアドバンテージの部分を攻撃されることが
しばしばありました。

そのほとんどはくだらない妬みなのでしょうが、
自分のアドバンテージの裏側にあるものに
大きなコンプレックスも抱いていたので、
とても複雑な気持ちになっていました。

でも自分のアドバンテージがあるからこそ、
自分にしか出来ないことがあるわけで。
それを世の中に、周囲に還元していくべきだよな、と。
長所を活かさないのは勿体ないな、と。
上から目線、というわけではないのですが。

しつこく中傷を受け続けているうちに心が曇り、
長所の裏側の闇に呑まれていきました。
そしてその闇の原因を作ったルーツを呪いました。

でも現在でも活用出来るはずの長所は、
それを作ってくれた人たちのおかげでもあるわけです。
その人たちは過去の闇の原因でもありますが、
僕には現在と、まだ先の人生があるはずで。
アドバンテージの源泉でもあるその人たちには
感謝しなければいけないのではないか、
そんな気持ちも湧いてきました。
今更ですけど。

自分の良さを素直に出すこと、
それが本当に大切だと思います。
そしてそれが可能な環境にいること。
それを支えてくれる人たちがいること。
とても恵まれた稀有な状況のはずなのに、
心無い人たちの言動の影響で見えなくなっていました。

嫌な人たちには徹底して近寄らない、関わらない。
嫌な場所には行かない。
「付き合いが・・・」という理由に、情けに溺れない。
時間を無駄にすることはないのですから。

意地悪な人たちなんて、周囲のごく少数で
ほとんどの方々は優しく親切です。
でもそのごく少数がどす黒さを広げていくわけです。
恐ろしいですね。

葛藤、というのは一生続くものだと思います。
すっきりしたいものですが、
それは解決した気になっているだけで。
もやもやを抱えながら生きていくのでしょう。
それでもひとつ何かが見えた気がします。

発熱、体調不良も無駄ではないのですね(笑)。

分からない人。

謎の熱でダウン中。
おそらく疲れと、ストレスが原因かと。

週末、とある場所でのレセプションパーティに
参加してきました。
久しぶりに訪れた所だったのですが、
お酒など飲みつつ楽しく過ごしていました。

途中までは。

時間的にはパーティ後半、
僕がとても苦手にしている人物が会場に現れました。
セクハラ常習犯の女性アーティストです。
この人はこっちの嫌がることをして、
僕がキレると喜ぶという最低な人間です。

このときも徐々に近付いてきたので、
嫌だなあ、と思っていました。
案の定、何気ないふりをして、
背後から僕の身体を触ってきました。

「やめてください」
はっきりと強い口調で伝えました。
この言葉を、僕はこの人に何度言ったことでしょう。
もういい加減、うんざりです。
いえ、とっくにうんざりしていますが。

嫌です、やめてください、と
いくら言っても分かってくれない場合は
どうしたら良いのか。
というか、おそらく(いや確実に)分かっていて
敢えてやっているのでしょう。

セクハラはコミュニケーションにはなり得ません。
一方通行故に、暴力でさえあります。
この人に関しては、過去に散々嫌なことをされてきました。
(セクハラだけでなく、虚言による噂を流されたり)
その積み重ねで完全に苦手な人になっています。
苦手な人に嫌なことをされて嬉しいはずがないですよね。

海外では挨拶でハグをしたり、
身体の触れ合いが多かったりします(国と地域によりますが)。
しかし、それは相手との距離感を理解した上で
リスペクトを含むから成立するものだと思います。
それらはセクハラとは全くの別次元のもの。

嫌な相手について、理解しようという気も失せています。
「この人はきっと寂しくて」とか
「コンプレックスが」とか考える気も既にゼロです。
僕に出来ることは徹底して距離を置いて、
関わらないこと。
かなり前にSNS上でもブロックしています。

何度も何度も言っても分からない、ということは
もうどうにもならないということ。
本当はそのコミュニティのボス的な立場の人に
厳しく諫めてほしいのですが、難しいでしょうね。
出禁にしてもらいたいぐらいですが。

そういう問題児を追い出す、ということは
その人の居場所がなくなる、ということにもなり。
すると、その人は孤立してますます病んでしまう。
謎のコネがあるのか、妙に守られていますし。
それだったら、僕がその周辺から離れるのが
ベストなのかな、と。

ここ数年はこのエリアのイベントに行きたくても
きっとあのセクハラ女王も来るだろう、と思うと
参加する気が萎えてしまい、
結局欠席するということも多いです。

問題児は追放出来ない。
しかし、何の対策も取らないというのは
いかがなものかと。
その体質のせいで人が離れていっているのでは。
若い人もとても少ないですし、
結局「いつものメンバー」で終わる、という。
若者は敏感ですから。
新しく拠点が作られたのは素敵なことですけども。

なんだかなあ、という感じで。
今朝まで熱が38度ほどもあったのですが、
やっと下がってきまして。
頭を整理するためにこの文章を書いている、
というわけです。

近況など。

近況を少し。

新しいアルバイトを始めて一ヶ月ほどが
経ちました。
職種はこれまでと同じ(清掃業)。
先輩方も現場主任も優しくて、
こんな職場もあるのか、と感動しています(笑)。
今までの会社では結構人間関係で
悩んできましたからね・・・。
無理せず、でも真面目にやっていきたいと思います。

作品制作に関しては、
近頃は表現手段として写真を用いています。
ほぼ毎日、街の中を歩き回って
気になったもの、風景など撮影していますね。
何時間も徒歩で移動しているので、
少し疲れますけど。

展示は予定していませんが、
何らかの形で・・・うーん。

体力的にしんどいこともありますが、
充実感を覚えながら制作出来ています。
こういう気持ちは本当に久しぶり。
疲労感はあっても、楽しいですね。
テンションに引っ張られての制作、
初期衝動に近いものがあります。

特に派手な活動などは無く。
数年前は展示やレジデンス、イベントなどで
怒涛の日々でしたが。
じっくり取り組める現在の環境に感謝、です。

何のために作品を作るのか?
表現とは何か?
その問い掛けを己に向けつつ。

外国語。

海外の女性歌手が日本語のタトゥーを入れ、
そのことが某SNS発で話題になりました。

今回の騒動がきっかけで、
その方は日本語の勉強を止めるという。
とても悲しいことです。

SNSで多くの人が事を大きくし過ぎたというのも
ありますけど。
そっとしておけばいいのに、騒ぎすぎという。

いずれにしても、
人が一生懸命取り組んでいることを馬鹿にする。
日本人のかなり良くない部分です。

この国は長い時間をかけて経済大国らしきものに
なりつつありました。
今はもう駄目ですけど。
その過程でいつか傲慢になってしまったのでしょうか。

自分のことでアレなんですけど。
僕も英語の勉強を続けていて、
人前でコケにされたことがありました。
日本で、複数の美術関係の人たちに。
とても悔しかったですし、腹が立ちましたし、
悲しかったです。

「問題は語学が出来るかどうかではなく、知性だよ」
という人もいました。
でもそれって、既に出来るからそう言えるんですよね。
必死で取り組んでいる人間からすると、
単なる上から目線でしかなく。

結局僕も、その悲しい思いをした場所には
行かなくなりましたし、
その周辺には関わらなくなりました。
だから某歌手の方の気持ちは痛いほど分かるつもり。

子供の頃に親から同じ思いをさせられているので、
その記憶が刺激されたのもあるかもしれません(自分の話)。

良い意味でも悪い意味でも、
勉強になりますね、こういう経験って。
自分自身は気を付けよう、と思えますから。

からかうとか、馬鹿にするつもりはなかった、
というのもありがちな言い訳ですが、
それはもう想像力といいますか。
早く、深く想像すること。
これからの時代により一層重要になってくる能力かと
思います。

自戒の念を込めて。

インフル中。

絶賛インフル中です。

お医者さんで熱を計ったら、
40度近くありました。
インフルエンザなんて随分久しぶりな
気がしますが、
休め、というサインだと捉えて
養生したいと思います。
心身共に疲れが溜まっていたので。

それにしてもしんどい(笑)。

画像

ぶっ壊。

積み上げたものぶっ壊して、
という歌詞が某ミュージシャンの某曲に
あったと思うのですが、
結構好きなフレーズなんですよね。
(ファンというわけではないのですが)

日常を送っていて、
何か変化が、
マンネリ化した日々に突破口が欲しい、
そう感じる人は多いと思います。

僕は、
作品制作をしていてこのフレーズが
時々ふっと頭を過ります。
そして、
何か全く違うものを作りたい、
自分のスタイルからはみ出したい、
ぶっ壊したい!
という気持ちになります。

でもこれ、実際はかなり難しい。
というか不可能だと思います。
何故なら、作品制作の根底には
その作家ならではの何かが地下水のように
流れ続けているからです。
その地下水は、作家の生い立ちや経験
という源から湧いたものです。
何をやっても「らしさ」は出てしまうものです。
それに「全然違うことをやってやった!」と主張しても
結局その人の思いつく範囲のものですから。
素材やジャンルが変わったとしても。

無理をして変化を起こそうとすると
不自然な作品が出来たりもします。
流行を追ったり、名誉やお金を求めたり。
全て作品に出ますからね、
見れば分かってしまうのは怖いものです。

制作の経験を重ねていくと
その分当然時間が流れていきます。
すると、その過程で様々なことを吸収したり
学んだりしますよね。
インプットというか。
それら栄養分が積み重なって染み渡れば
変化は自然に訪れるかと。
そこには時間も努力も必要ですが、
無理は禁物です。

そう、特に時間は必要ですね。
僕はこの二年間ほど、
内面を熟成させることに専念してきました。
しかし、
今年はそれを放出することが出来そうな予感が
しています。

久しぶりに個展を開きたいとも思っていますが、
どうなるかまだ分かりませんね。
内容も形態も場所も。
でも希望はあります。

大きな流れに対して。

創作行為を始めると、
どんな分野でも所謂「メジャー」とでも
いうような大きな流れがあることを
知ります。

美術にしてもそうで、
私はその流れを遠くから眺めているだけ、
そんな気持ちになります。

以前は自分も何とかしてその流れに
入りたいものだと思い、行動してきました。
しかし結果としてはそこに近付くことも出来ず、
気持ちは焦るばかり。
作品もおかしな方向に行ってしまったり。

ここ二、三年ばかり、
美術作品の発表のペースを落としていました。
このままだと行き詰るという思いがあり、
実際行き詰まりかけていました。
何をどうしたらいいのか、
そんな状態にまで陥ってしまい。
美術業界内の人間関係に悩んでいたこともあって
休止せざるを得ませんでした。

しかし、ネガティブなことがきっかけで
じっくり物事を考えることが出来るようになりました。
時間が取れるようになった、というのと
嫌な目にあった結果、
様々なことにより一層疑問を持つようになったからです。

人間というものについて、
社会について、
人と人との関係性について。
等々。

美術の世界を離れたところから
見つめることが出来たと思いますし、
今もそうした視点を持っています。

大きな流れ、というものはやはりありました。
でも現在は、それへの興味が失われたようです。
冷静な目で見ていると、
無理をして自分を曲げてまで
その流れに巻き込まれたいのか。
自分のやるべきこと、やりたいことを
率直にやるべきではないのか。
そんな考えを抱くようになってきたのです。

作品が売れたらいいな、という気持ちは
正直あります。
しかし、まず意識したいことが幾つか。
芸術家の役割、自分の役割は
何だろうか?
そもそも、
お金や名声を得ることが目的ではないはず。
太古の昔から芸術家というものが存在しているのは、
確かに特殊な使命があるからでは。
例えば、吟遊詩人や道化のように。

この時代の中で、感覚というアンテナを信じて
作品を作っていくしかない。
大切なものを失わないように。
そんな素直さに包まれています。