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zoom RSS 死という別れをきっかけに(2)。

<<   作成日時 : 2018/04/10 08:54   >>

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続きです。

兄の死後、僕自身の中で変わったこと、
変わってしまったことが幾つかあるのですが、
という話でした。

それを少し書いてみたいと思います。

ひとつは、臆病になってしまったということです。
特に自分の健康について。
と言っても、年一回血液検査を受けるとか、
なるべく毎日野菜を食べるようにするとか、
そんなことくらいですけど。

無茶も出来なくなった気がします。
(無理はそこそこしているような・・・笑)

兄が病床で苦しんでいる姿が脳裏に焼き付いていて
今でもそれを時々思い出します。
僕も過去に入院して手術を受けた経験があるのですが
短期間でも、なかなかしんどかったです。
なので、入院などは出来ればしたくないですね・・・
当たり前かもしれませんが。
いずれにしても、健康に気を使うようになったのは
良いことなのでしょうね、きっと。

変わったことのもうひとつは、
人に厳しくなってしまったことです。
これはあまり良い変化とは言えないのでしょうけど。
どうしてそうなってしまったのか、
その過程は正確には分からないのですが。
でもたぶん、「人間死んだらお終い」という意識が
強く刻まれてしまったからだと思います。
それ故、「そんなことしている場合じゃないだろう」とか
「もっとしっかりしろよ」などという思いを
人に対して抱いてしまうようになったのかもしれません。

その癖、自分自身に対しては物凄く甘々なので、
我ながら最低だな、と心底嫌になることが多々あります。

考えが固くなった面もあると感じます。
その根っこにあるのは、「恐れ」なのか、
自分をかわいく思うようになったからなのか・・・。

(しかしそれもこの二、三年で変わった気がします。
意識的に緩やかな気持ちを持つようにしているのも
あるのですが、
本当に大切なことがあれば良いと思えるように
なりました、それは今もまだ探し中ではありますけど)

兄が亡くなった後に変わったことは他にもあります。
それは、少しだけ大人になったことでしょうか。
それまでの僕は、非常に調子に乗っていました。
美術の世界で成功することしか考えておらず、
酷い言葉で結構人を傷付けてしまっていました。
(今でも自信は無いですが・・・)
最近は、言動にはなるべく気を付けるようにはなりました。
時々大失敗して落ち込みますけど。

この「少しだけ」大人になったことと、
人に厳しくなってしまったことは繋がっている気もします。
「少しだけ」故に、まだまだ成熟していないのでしょうか。
人に優しく、というのも多くの意味がありますが。

以前も書いた気がするのですが、
人生に於いてネガティブに見えることも意味のあること
なのだろう、ということ。
今いるこの自分、結果としての現状は必然の流れの結果だと。
川の流れが岩にぶつかって変化しながらも続いていくように。
障害物があっても、流れていくことは変わらないと。
そしてその先は何処かに辿り着くということ、
海か湖か、何処かしらに流れは注がれていく、という。

我ながら変な人生で、
よくこの年齢まで生きてこられたな、という実感があります。
良くも悪くも、貴重な経験をしてきました。
文字通り地獄のような出来事も、血となり、肉となりました。
そして、自分の中の器に様々な種類の形無きものが
少しずつ溜まってきました。
それらに形を与えて、放出するのがこれからの僕の仕事、
そう考えています。

いつの間にか、ゲージは目盛りいっぱいまで上がり、
満タンになっていたようです。

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