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zoom RSS 死という別れをきっかけに(1)。

<<   作成日時 : 2018/04/08 17:08   >>

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今日は、亡き兄の七回忌法要のために
ちょっとだけ生まれ育った街に戻りました。

兄が病気で亡くなったのは、2012年の春のこと。
その頃僕は近畿地方に滞在して、作品制作をしていました。

大学病院に医師として勤めていて、
仕事中に脳梗塞で倒れた兄はそのままそこに入院。
僕は新幹線を乗り継いで栃木県に駆け付けました。
それから、病室で短期間付き添いをしていたのですが
それは壮絶なものでした。

意識はあっても、身体がほとんど動かせない。
伝えたいことがあっても、言葉に出来ない。
例えば、寝返りがうてないので背中や腰が痛くなる。
呼吸がスムーズに出来ない、痰も激しくからんで苦しい。
それ以外にもあちこち痛むようなのですが、
それを正確に伝えられない。
兄にとっては地獄のようなものだったと想像します。
時間が経つにつれて、片方の腕の指先と頷く動作で、
少しずつコミュニケーションを取れるようになりましたが。

亡くなる前の日のことです。
僕は今まで無理をさせてしまったことを兄に謝りました。
家族の将来のことで、大きなプレッシャーが掛かり続け、
それが病気のきっかけになったのは確かだったからです。
僕自身、その状況に甘え切っていました。
なるべくはっきりと聞き取りやすい声で謝罪しました。
すると兄は、使える範囲の身振りで「いいよ」と伝えてくれました。
宿に帰った僕は、布団の中でひとり、大泣きしてしまいました。

次の日になって容態が急変、兄は帰らぬ人となったのでした。

互いに大人になってからは特に仲が良かったわけでも
ありませんでしたし、
考え方や環境の相違もあって、
話すこともそれほど多くなかったのですが、
それでも子供の頃に一緒に遊んだことなどを思い出すと
今でもつらいものがあります。

遺品整理のために、兄が独り暮らしをしていたマンションの部屋を
訪れたときのことです。
その荒れ方にショックを受けました。
本当にここに住んでいたのだろうか、というほど。
風呂やトイレは真っ黒、リビングの壁には分厚く溜まった埃で
模様が出来ている。
過酷な生活をさせてしまっていたんだな、と落ち込みました。

遺体が栃木から、実家のある茨城に帰ってきて
改めてその亡骸を前にしたときに、
頭がくらくらするような衝撃を受けました。
確かに生きていたのに、今はもうここには命が無い。
もう動くことはない。
目の前に横たわっているのは確かに兄の肉体なのに、
それは既に物(という表現はどうかと思いますが)なのです。

その事実。
生きている存在と、死んでしまった存在の違いとは何だろう?
その境目とは。
何故もう動かない、動いてくれないのだろうか。
でも目の前の事実は変わらず、圧倒的でした。

祖父母が亡くなったときも勿論悲しかったのですが、
兄は年齢が近いこともあって(僕とは年子でした)、
また違う感情に囚われたのかもしれません。
悲しみは、次第に違う方向に深化していきました。

その後、僕は再び近畿地方での滞在制作に戻りました。
でも、自分の中の何かが以前と決定的に変わってしまったのです。
少し長くなったので、(2)に続きます。

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