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zoom RSS 何を大切にして。

<<   作成日時 : 2018/03/09 20:02   >>

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何を大切にして、目的として、作品を作るのか、
と最近よく考える。

これは妄想に近いかもしれないんだけども。
もし地球に巨大な隕石が落ちてきて、丸ごと木っ端微塵に
なったらどうするのか。
他の星に逃げ出す時間も手段も無い、として。
そうすると、あらゆる芸術作品は粉々になってしまう。
それだけでなく、データや本、つまり今までの歴史の記録さえ
無くなってしまうわけで。

売れたい、有名になりたい、という気持ちは
多くの芸術家が持っているかと思う。
僕自身も無いとは言えない。
でもいずれ全てが無に帰してしまうとしたら。

素晴らしい作品、素晴らしい展示が出来たとして、
それらも全て失われてしまうとしたら。

では何を意識して、何を大切にして生きて、
作品を作ったらいいのか。

それは結局、自分の魂に嘘をつかない、ということなのかもしれない、
などと書くと怪しい奴、と思われるかもしれないけど。
(僕は特定の宗教を信仰しているわけではないし、
スピリチュアルみたいなものも正直ちょっと苦手)

地球が粉々になったとしたら、当然自分の命も無くなるわけで。
死後の世界があるかどうかも分からないけれども。
魂は残るのかどうかもあやふや。
だけれど、それしか残る可能性のあるものは無いのではないか。
何かが残るとしたら、だけど。

自分の魂に嘘をつかずに作品を制作、発表しても
それが良い評価を得らえれるかどうか。
得られないかもしれない。
それでも、それしか無いのではないか、と。

美術の歴史にどうしても何かを残したい、という人もいる。
本の中に名前だけでも載れば大成功、
一行でも記事を書かれれば最高。
そういう考えもある。
そして多くの芸術家は虎視眈々とそれを狙い、
名を遺すことに必死だ。
人を騙し、蹴落としてまでその目的を達しようとする人もいる。
あるいは、著名な作家に後押ししてもらおうと
狡賢くすり寄っていく人もいる。


もうひとつ妄想。
もし宇宙人というものがいるとして、
僕ら地球人の作った芸術作品を見てどう思うだろうか。
この世界で素晴らしいとされる作品を見て、やはり感動するだろうか。
僕は違うと思う。
美術の歴史や作品の評価に関して言えば、
それは意図的に作られてきた部分が多いからだ。
芸術家が戦略的に動いたとか、
評論家が自分の名を売ろうとして流れを作り出したとか。
例えば後期印象派なんていうものが良い例かな、と。

意図して作られた歴史は結局、この世界の価値観に基づいている。
作品も然り。
それが宇宙人のものと合致するのかどうか。

という以上、妄想。
でもこういうことを考えるところから、
芸術の可能性が広がっていくかもしれず。
自分自身の現状への言い訳というわけではないんだけれども。

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