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Weblog_ShinobuTERADA

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それぞれの方法で。

2018/10/16 23:42
ものを作るスタイルというのは、
人それぞれだよなあ、と今更ですが。

それは制作と発表のペースにも言えることで、
立て続けに作品を作って出せる人と、
そうでない人と。
また、同じ作者でも時期によって変わることも
あるのではないかと。

僕自身は頻繁に美術作品を展示していた時期も
ありますし、
ほとんど何も出来なかったときもありました。
どうしても意欲が湧かなかったときは焦りや苛立ちに
襲われていました。

「どんどん発表しないと駄目」とか
「たくさん作ってこそ」という考えもあります。
でもそれを押し付けるのはどうかと思いますし、
意味の無いことのような気がします。
体調や家族の問題や仕事のことなど、
その人にしか分からない事情だってあるかもしれないですし。

ものを作る人間にとっていちばん怖いことは、
惰性に陥ること、
そして考えることをやめてしまうこと、
だと個人的には思っています。
惰性というものは知らず知らずのうちに忍び寄っていて、
本人は意外と気が付かないものです。
忙しくしているとそれだけで頑張っているつもりに
なれてしまう。

たくさん作って、そのことにこだわっていると
時間もなくなって、作品も荒れてきます。
締め切りに追われて、自分を見失い、
いいものが作れなくなる。
結果的に信頼も失い、人は離れていく。
僕自身、そんなことも過去に経験しています。

ひとつひとつの物事について、丁寧に考えてみる。
そうすると、自ずと作るべきものが見えてくる、
そんなことに最近になって気が付きました。
日頃の体験と思考の反芻が重要ですね。

作品に何を込めるのか。
今、自分がいちばん伝えたいことは何か。
言い遺したいこと、形にしたいことは?
それらも、日常で感覚器官を通して得たことについて、
または過去の出来事についてじっくりと、
目を逸らすことなく考えていくことから
生まれるのではないでしょうか。

形式に堕さないこと、
流されないこと。
時間が掛かっても、丁寧に考えること。
少しずつでも焦らずに取り組んでいきたいと
思っています。
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難しいもの。

2018/10/09 22:25
長年持病があってですね。
そもそもは中学一年生のときに発症したんですけど、
もっと早くに治療出来ていたらな、とは思います。

その困難の影響はなかなか大きくて、
生活する上でやれることが限られたりとか、
諦めなければならないことも色々あって
悔しい思いをすることも多いです。

それがあるから美術をやろうと思えたわけですけど、
でもそれで単純に良かったとも思えないわけです。
生きていく上で、
困ったことはやはり困ったことなので。

今まで美術の活動をしてきて、
その中でも病が原因で随分しんどいこともありました。
これからもそれは当然続くでしょうし、
それを思うと不安でもありますね。

昇華、という点から見ると
ある意味では汲めども尽きぬ泉と言えるのでしょうか、
完治も難しいですから。
自分らしさ、と前向きに捉えるのも抵抗がありますが
気長に付き合っていくしかないのですよね。
平穏な日があるとそれだけでありがたいです。
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言うだけの人。

2018/09/30 03:20
人生には転機というものがあるよなあ、と
つくづく思うこの頃です。

(ああ、台風が近づいて雨が凄いです・・・)

ここ数年は毎年のように転機が訪れている気がします。
自分の人生に於いて、無数の小さなポイント、
大きな転換点がありました。

もう七年、いや、六年前?になるのでしょうか。
僕としては大きな決断をしました。
それは人生を賭けるレベルのものだったのですが、
自身の弱さのせいもあって、
結果から言うと失敗に終わったと思っています。
そこから得られたものも大きかったのですが。

その時期が終わって、
元の生活を取り戻した頃に、とある知人に遭遇しました。
その人は、
「ああ、なんであんなことしちゃうかな、って思ってたんだよねえ」
と僕に言いました。

最近も、その件について同じようなことを言ってきた人が
いました(別の人ですが)。

助けてもくれない、後から言うだけの人。
困難が過ぎてから言うのなんて、簡単ですよね。
では、僕がそのときに大成功していたら
その人たちは何と言っていたでしょうか。
「やっぱりねえ、あなたならやれると思っていたんだよ」
などと言うかもしれません(これは想像ですけど)。

そういう人は信用できないですよね。
上の年代に多い気がしますが。
反論する気も失せたので、何も言いませんでしたけど。

本当に心配してくれる(くれた)人は違います。
信頼できる友人たちは後出しでもそんなことは決して
言いませんでしたし。

こうしたことも含めて、
失敗を通して勉強になりましたね。
やはり、口だけの人は信用できません。
後出しの批判、揶揄は最低だと思います。
相手にせず、前に進むのみ、ですが。
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調子が。

2018/09/28 18:47
どうも近頃、調子が出ない、
そんな感じです。
やっと酷暑も終わったようですが、
これは秋の空気感のせいなんでしょうか。

なんともピリッとしません。
ここ一週間ほど、ずっと天候も悪く。
気持ちが下り気味です。
下がり始めは一部分だったとしても、
やがて他の気持ちも引きずられてしまいます。
全体的にトーンダウン。

ああ、駄目だ、と思う日々です。
このままでは駄目だ、と。
理由をつけては、現実逃避をしてしまう、
その連続です。

いつから、なぜ、こうなってしまったのか。
そこをまず考えてみようと思います。
(ここには書きませんが)
昨年の秋頃に内面の変化がじわじわ始まり、
制作するものも変わりました。
生活の質も、なのですが。

人間は変わっていくものだと思うのですが。
「これは今までと違う逸れ方だけど面白いから良いか」
と思えるところと、
「これは以前のほうが良かったな、戻したい」
という二つの面があるようです。
ただ、戻したい、と思っても難しいですね。
少しずつでも改善していきたいです。

形式的にならず、
実のある生活を。
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やりたくないこと、やる必要のないこと。

2018/09/16 22:15
日常生活って、
やりたくないことで溢れていますよね。
それは大人も子供も同じだと思いますが。

ところで、
「やりたくないこと」と「やる必要のないこと」は
違うわけで。
やりたくないことは避けられないけれど、
やる必要のないことは避けられることも多い。

でもそこが人間の不思議なところで、
やる必要がなくてもやっちゃうことって
結構あると思うんですよね。
やっちゃう、というよりもやらざるを得ないというか。
その原因のひとつは「世間からの目」かと。
(情に流される、というのもありますが・・・)

自分自身、それに負けてしまうことが多々。
そこは弱いな、という自覚は以前からあります。
しかし、そんなことも言っていられないですね。
この年齢になると、時間が無くなってきますから。

昨年の八月、アイスランドの美術館で滞在制作を
していました。
その一ヶ月間、そして帰国してから何故か考えが
大幅に変わりました。
自分でもよく分からないのですが、
何らかのスイッチが入ってしまったみたいで。
あれから約一年経って、その思考実験も転換点を
迎えたようです。

それから、この半年ほど続けてきたことがあるのですが
そこからも離脱するときが来た感じです。
しばらく迷っていましたが、次へと進むために
必要な変化なんでしょうね。
物事が変わる、変えるときは不安も伴いますが、
挑戦していきたいと思っています。

今後が楽しみになってきました。
そんな初秋の夜。
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根っこのところ。

2018/09/03 20:40
しばらく作品の展示や滞在制作など
していない状況です。
実は今年も幾つかお話をいただいたものの、
お断りしてしまい。
せっかくのお誘いに対して、
申し訳なくも思っています。

制作はしているものの、
どうしても発表することが出来ず。
理由としては、自分の作ったものを
世に出す自信が全く無いというのがあります。
(贅沢な悩みかもしれませんが)
実は、これは数年前から、です。

何故そうしたことになったかというのは
色々ありますが。

その、色々あった結果、
ものを作って出す、という行為について
根本から捉えなおしたい、
そんな気持ちになりました。
最初にビジュアルアート作品を作り始めたときの
こととか。
自分が「本当は何を言いたいのか」とか。
情熱とか、衝動とか。

その辺りの変質が起こり始めた原因のひとつには、
ステートメントの執筆と推敲もあるようです。
作品や制作、その基本姿勢についての解説文ですね。
現代美術は自作について文章や言葉で
説明出来ないといけない、
そんな風潮が強くあると思います。
(気にしない人もいますし、それが全てではないですが)
人に伝える、という部分でそれは大事ではあるのですが、
伝わりやすくする、とか説得力を持たせたい、
僕自身がそんな考えに支配され過ぎた感じはあります。

ステートメントをこねくり回し過ぎることは、
言葉遊びに堕してしまう危険性も孕んでしまうかと。
そこから新たに生まれたものもあるんですけども。

あとは、人の言うことに振り回されたことも
影響しているのかもしれません。
メンタルが落ちている時期に、
何人かの作家たちから攻撃されたことも含めてですが。

ものを作ることから離れようと思ったことはありませんし、
美術をやめる、という宣言をするつもりもないのですが
根っこのところを見つめ直してみたいですね。
今それをやっておかないと、
後々取返しのつかないことになると思うので、確実に。
疑問を抱きながら惰性で作り続けるのは、
自分を壊してしまいます。
作品が荒れると周りにも迷惑がかかりますし。
(そんな時期も過去に実際ありました)

今、とんでもない回り道をしているなあ、
という実感が物凄くあるのですが、
焦らず思考していきたいです。
行動しつつ、ですけども。

現在の流れは障害物によって変わった結果だとして、
意味のあるものだと受け入れることも
「アリ」だと最近思います。
思い出すときついこともあるにはありますけどね。
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結婚というものについて。

2018/08/26 11:22
結婚ね。
何故そんなものについて考えているかというと、
今、世間的には夏休みの時期じゃないですか。
そろそろ終わりそうですけど。

街の中が小さいお子さんを連れた親御さんたちで
溢れているわけで。
結婚、そして子育てか・・・などぼんやりと思い。

結婚って、別に一緒に住まなくても良いような気が
するんですよね。
通い婚?みたいな感じで。
特にひとりの時間を大切にしたい人(僕もですが)は
そのほうが関係が長続きするかと。
でも経済的にどうなのか、とか
そもそも結婚というものの意味が分からなくなりそう
ですけど(笑)。

子供についても、
僕自身がひとりの人間の親になれるとは思えないですし、
なっては駄目だとも思うので・・・。
友人たちのお子さんと遊ぶのは楽しくて好きなんですが、
子育ては楽しいだけじゃないでしょうし、勿論。
あと、自分の子供がいじめられたら・・・とか勝手な想像を
するとぞっとする、というか。
でも僕自身の年齢から、子供は割と諦めてますね・・・
結婚も子供も縁があれば、みたいな。
あと、現代の日本は子供を育てるにはハード過ぎますよ。
そりゃ少子化現象も起きるでしょうし、
政治家は国を滅ぼしたいんだろうな、とさえ思います。
僕の周りの親後さんたちはその中でしっかり子育てをされているので
本当に尊敬しています。
僕は、自分の家系はお家断絶でも構わないと思いますし、
そのほうが良いのだろうな、とまで考えていますけど。

別々に住んでの結婚生活、というのは
心配があるとすればパートナーの浮気とかになりますかね。
自由であっても良いとはいえ、それは困るわけで。
結婚というのは、感情面からすると
相手を自分だけのものにしたい、という欲求から来ているのだとは
思うのですが。
それと同じくらい、権力者が市民を管理するために出来た
制度でもあるのでしょう。
税金を取り続けるためでもあり。
為政者は人間の感情を利用した面もあるのでしょうか、
便乗したというか。

そこでふと興味が湧いたのが、
結婚というものがいつ始まったのか、ということで。
ちょっとネットで「結婚 歴史」というワードで調べてみたのですが
所説ありすぎて・・・。
日本と外国でも違いますし。
国内だけでも地域によってまちまちですし。
結婚らしきものは太古からあっても、
いつ頃から制度として確立されたのか、
大まかには分かっているようですけど。

このサイトが分かりやすいかもしれないです。

http://xn--rck1ae0dua7lwa.com/blog/2018/02/14/what-is-marriage/

ひとつ言えるのは、制度としての結婚は時代とともに
変化してきた、ということ。
でも人が人を愛する感情自体には変化は無いのでしょう。
(個人の感情はいずれ変わってしまう、としても)
平安時代の恋愛小説が今でも理解出来るように。
感情を制度という箱に無理矢理押し込む、ということに
無理があるとも思います。
ただ、社会に於ける倫理とかもありますしね。

色々書きましたが、僕個人は結婚の予定など全く無いという、
そんなオチで締めます(笑)。
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