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Weblog_ShinobuTERADA

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Weblog_ShinobuTERADA
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寺田忍のブログ。
日々のこと / 制作のこと。


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芸術と街。

2018/06/12 21:06
アートの欠片も感じられないような場所に住みたい。
近頃そんな気持ちも湧いてきました。

近年、芸術(特に現代美術)を売りにしてのまちづくりを
モットーにしている地域が非常に多くなった感があります。

この事に関してはだいぶ前に書いた記憶がありますが。

街の中にアーティストやミュージシャンなどが増えて
芸術活動が活発になる。
住んでいる方々がそれに興味を持ち、
交流したり、知識が増えたり、楽しんだり。
それは結構なことだとも思います。
日々の生活の中にアートの要素が増えていく、
潤いと刺激、楽しみが新たに生まれる・・・
とても素敵です。
しかし、その傾向に対して違和感を持つ自分も
いるんですよね。

僕自身、美術の活動をしているので
その恩恵を受けることも多いです。
現在、アートが盛んなところに住んでいますので。

しかし、生まれ故郷のことを思い出すと複雑な気持ちにも
なるんですよね。
あるときを境にして「アートの街」になった、故郷。
その頃既に美術をやっていた僕ですが、
正直ついていけませんでした。

突如として街に設置される現代美術作品。
それは風景を一変させました。
確かにアートを目的に来る人は増えました。
経済効果もあったでしょう。
しかし。

芸術というものは人に強いるものではないと僕は考えます。
見たい人は見ればいい、そうした性格を持つと。
しかし、アートの街はアートの押し売りをしていないか。
興味がない人にとっては疲れてしまうものではないのか。
そんな疑問もあります。
新たなアートファンを増やす可能性も勿論あるでしょう。
しかし、そういう人ばかりではない、と考えてみることも
必要なのではないか、そういうことです。

僕が現在住んでいる街には、美術関係の知人友人が多く、
環境としては勿論恵まれている面も多々あると思います。
しかし、そこから離れることもアリなのでは、と。
実際は引っ越しは大変ですし、仕事もあるので
不可能に近いですけど。
でも条件が整えば動きたいですね。
といっても、少し南下するぐらいになると思いますけども。

今の僕は芸術の香りのない、フラットな場所に憧れていますが
最近の日本ではそんな環境は珍しくなってきたかもしれないですね。
初めはアートがなくても、後から突然発生する可能性も・・・
自治体の親玉が言い出せば、ね。
「アートぶっこんでおけばいいっしょ」みたいな考えで始まると
最悪の結果が生まれてしまうでしょうけどね。

何故こんな冷めた気持ちが常にあるんだろう、と
自分でも思います。
それは僕が元々は美術畑の人間ではないからかもしれないです。
何処か離れた位置から見ているような部分が常にあるという・・・
嫌な感じの奴ですよね(笑)。

心が少し疲れているのかもしれないです。
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譲ったら負けなのか。

2018/06/06 20:07
負け、というか損をする、のかな。

日常で、例えば混雑している電車に乗っていると
するじゃないですか。
そういうとき、無理矢理ポジションを取ろうとする
人っていますよね。
自分が良ければそれでいい、という。
そんな人がもし、ぐいぐいと自分のほうに割り込んできたら
僕は譲ることが多いんですよね。

あ、でも余程腹が立ったら退かないですけど(笑)。

確かに、現代の日本の、特に都市部で生活をするには
エゴを出さないと潰されてしまうこともあるのかな、と。

しかし、うーん。

外国で滞在制作をする機会が増えて、
日本と海外(といっても色々ありますが)の違いに
より一層気が付くようになりました。
(別に外国万歳と言いたいわけではないんですけどね)

狭い歩道を歩いているとします。
人がひとりやっと通れるくらいの幅しかなくて、
前から誰かが来たら、脇に避けなくてはならないという。
そんな状況で、こっちが避けても何も言われないどころか
会釈さえ無いのが日本という国ですね。
勿論個人差はあって、「ありがとう」と言ってくれる人もいますが。
コミュニケーション不全というか、なんというか。

何か一言あれば、スムーズにいくことも
何も言わず、ぐいぐいと我を通すだけでは
悪い感情しか生まれないと思うんですよね。
ちなみに僕は「すみません」という言葉は
とても素晴らしい、美しいものだと思っています。
(この辺のことはまた別に書ければ、と)

それで。

譲る側、いや、折れざるを得ない側、というか。
それは損をするだけなのか。
では、こっちもエゴ剥き出しで人を潰すつもりで生きないと
いけないのか。
などともやもやすることも時々ありますが。

いや、それは断じて違うだろう、と。
確かに損はするでしょうし、疲れもするでしょう。
ただ、自分自身はそんな世界に負けずにいたい。
紳士でいたい。
紳士淑女とは一体何でしょうか。
パリッとしたスーツを着ていればいいのでしょうか。
僕の服装は野暮ったくて色々酷いという自覚はありますが(笑)。
心が大事、紳士は心だよ。
そう思っています。

それにしても酷いストレス社会ですね。
まったく、どうしようもねえな、くそが!(by 紳士)
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なんとかなる、と。

2018/06/03 21:28
気の持ちよう。
これがなかなか難しいもので。

僕はあほなくせに、すぐにシリアスになってしまう
傾向があります。
これは子供の頃からの性格だと思うんですが。

あと、酷い心配性でもあって、
バイトに行くにも大きなバッグを持っていかないと
気が済まない、とか。
バッグの中には何が入っているかというと、
胃薬、ビニール袋、傘、本、エコバッグ、ティッシュ、
着替えのTシャツ、などなど。
そんなに遠くに行くわけでもないんですけどね(笑)。

自分で思うのは、
弱気になっている時ほど荷物が多くなるな、と。
「出先でこれが無いと困るだろう」と
考えすぎてしまうんですよね。
ちなみに僕はメンタルが落ちていると、お腹が弱くなります。
なので胃薬が必要になるんですけど。

数年前の調子の良かったときは、
もっと身軽だったな、と思い出します。
なんとかなるんじゃね?の精神が強くありましたね。
便所サンダルで新幹線に乗ったり。

割と両極端なところがあって、
軽快なときと重いときと。
吹っ切れてしまえば楽になれるのは分かっているんですが
難しいです。
ある部分はあっさり、別の部分はしつこい、とか。
例えば、恋愛についてはあっさり諦めてしまったり、
制作についてはしつこい、という感じで。
AB型だからでしょうか、というのは言い訳ですね(笑)。

深刻に考えてしまうところは、
最近変わってきたかもしれないです。
というか、変えようとしているんですけど。
すぐに悩ましい状態へと落ちていきそうにはなるんですが、
なるべく気持ちを転換するようにしているというか。
街を歩いていたり、バイトをしている間なんかに
イライラしてしまっても、
「しょうがねえなあ、もう」みたいに深呼吸をして、
のんびり思考へ切り替える努力をしています。
ただ、これは実生活の中に於いてであって、
制作に関してはそうもいかないですね・・・。

今の目標は、もっとフットワークを軽く、
身軽に動けるようになること、でしょうか。
近頃、展示やイベントに行く回数が減っていますし。
現在どっぷり集中している締め切り間近の作品があるので、
ある程度仕方ないんですけど。

気持ちの切り替え、もっと上手になれたら良いんですけどね。
そうなると作品を作らなくなるような気もして。
しつこい部分があるからこそ、物事を追求したり
ものを作りたくなるからだと思うので。
「悩んでも無駄、仕方ない」という人もいますが、
僕はそうは思いません。
ぐだぐだ思い悩んでも良いじゃありませんか。
そのぐろぐろの中から素晴らしい芸術が生まれると、
僕は確信しています。
そもそも、そんなに器用な性格だったら
ものを作ったりはしていないと思いますしね。
ある種の業、でしょうか。

それにしても、
厄介な性格ですね・・・(笑)。
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近況など。

2018/06/01 05:51
おはようございます、
バイト出勤直前です。

今日からもう六月ですね、早い。
近況、といってもそれほど無いのですが。
今の職場に来てから一ヶ月くらい経ちます。
人間関係などを含めた環境も今のところ良好なので、
とりあえず良かったかな、と。
陰湿な嫌がらせなんかも無いので(笑)。

制作はぼちぼちですかね。
毎日ちょっとずつしか進められないですが、
着実に進んでいる実感があります。
展示の予定はありませんが、
コンペに出そうと思っていて
その作品を作っています。
しばらく前から自分自身の方向性?が変わったので
苦戦していますけども。
ジャンルも以前とちょっと違っているかもしれないです。

最近ちょっと蒸し暑くなってきて、
体力的にきついからか(暑いのがとても苦手な体質)
なかなかイベントや展示に顔を出せず。
不義理続きで申し訳ないな、と思いつつ。
言い訳ですが。

正直ちょっと引きこもり気味で、
バイトと制作(あと勉強少し)しかしてない感じ。
でもなんとか元気・・・だと思います。
たまにはふらっと遊びたい(笑)。
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迷いと転換。

2018/05/27 21:14
昨年の九月にアイスランドでの滞在制作から帰国して、
自分自身の中の何かが変わってしまいました。

変わってしまった、というと悪い意味合いにもとれますが
必ずしもそうでもないようで。
良くも悪くもなのか、良いのか悪いのか、
そこはまだよく分からないでいます。

そこから、迷いも始まりました。
一時期はその迷いがとても苦しかったのですが、
少し前から開き直るようにしています。
何と言いますか、迷いを迷いのまま受け入れるという感じで、
流れに任せてみようかな、と。

人間には多くの可能性があると思います。
何か新しいものが見つかるような、
そんな気もしています。
そして、ポジティブな気分にもなっています。
それは全てを押し倒すようなエネルギーではなく、
日々を静かに、しかし楽しめるような、
そんなものです。

毎日ひとり部屋で制作していると、
少しずつ作品が進められれうことが嬉しくなります。
それも以前と違う部分かもしれません。

現在の状態、そしてこの変化が良いものなのか、
良い方向に行くのか、それは見当もつきませんが
明るい予感は抱いています。
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どういうことなんだろうな、と。

2018/05/24 19:14
今の職場で働き始めてから約一ヶ月が経ちました。
先輩方も優しいですし、環境も給与面も割合に良いので
やりがいがありますね、アルバイトですが。
(過去、相当酷いところにも在籍していたので)

某ショッピングモールでの清掃業務なのですが
なかなか仕事量は多いです。
でも清掃の現場は何処でもそんな感じなので
仕方ないですね。
清掃業界に入って、いつの間にか十年ほど経ちます。

どんなところでもそうではありますが、
これはどういうことなんだろうな、と思うこともあり。
現在の僕の受け持ちの作業の中に、トイレ清掃があります。
男性用もですが、女性用トイレも担当しているんですね。
清掃業界ではあまり無いパターンなのですが、
人手不足のために男性がやらざるを得ないのでしょう。

男性が女性用トイレを清掃する、というのは
なかなか難しいものがあります。
従業員の方々がガンガン入ってくるので、
出てくるまでしばらく待っていなければなりません。
当然仕事は止まってしまいます。
効率の悪いこと甚だしいですね。

そんな中、テナントさんから苦情が入ったそうです。
「男性が清掃していると使いづらい」と。
そう言われても・・・
僕は上から言われて仕事としてやっているだけであって。
それに、別に好き好んでトイレ清掃をしているわけではないのですが。
というか、僕はそんな苦情を予め想定していたので、
超スピードでなるべく早く終わらせるように努力していましたし、
なるべく気を使いつつ作業をしていたんですけどね。
(ちなみに僕以外のスタッフもこの作業をしています)

苦情があったということで、
お店の方とうちの清掃会社で相談して、
清掃中は従業員の方には他の階のトイレを使用してもらうことに
正式に決まりました。
その旨を表記したパネルも作って、
トイレ清掃をしている間はドアに掲示するようになりました。

しかし。
それでも平気な顔をして入ってくる人も結構いるんですよね。
びっくりしました。
上の人からの話が下りてきていないのか、
聞いてはいるけれど無視しているのか。
別に良いでしょ、という感じなのか。
僕がなめられているのか・・・。

パターン1
「すみません、清掃中なんですが・・・」
「あ、流しの鏡でお化粧直しているだけなんで大丈夫です」
「(ええ・・・)」
→流しの清掃が出来ないんですが。

パターン2
「すみません、清掃中なんですが・・・」
「分かってるけど、急いでるのよ!(プンスカ)」
「(ええ・・・)」
→それを言ったら誰でも使って良いことになっちゃうでしょ、
しかもなんでキレているのでしょうか。

もうですね、僕は諦めましたよ。
この人たちは自分が良ければ構わないんだな、と。
清掃員って軽く見られがちですしね・・・。

というか、そんなことを言うくらいなら、
苦情なんか入れなければ良いのでは・・・
その苦情入れた人が余計なことをしてくれたせいですから。
でも見つけ出して叩くわけにもいかないですしね。

一番良いのは、女性用トイレの清掃は、
女性の清掃スタッフが担当することですかね。
そのためにも人員を増やして欲しいですね・・・
このままではなかなか厳しいかと。

色々な人がいるなあ、と人間観察のつもりで
淡々と働くことにしています。
人間って面白いですよねえ、とほほ。
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何のために?

2018/05/20 21:55
何のために、何かに形を与えてそれを世に問うのか?
それについてずっと考えています。

つまり、表現行為の目的は何なのか、ということです。

それは人それぞれだとは思います。
中には売れるため、名声を得るため、
芸術家という肩書が欲しい、とか。
モチベーションとしては、何れでも良いのかもしれませんね。
ただ、そうした人の精神は作品を通して透けて見えますし
話していても一発で分かってしまいます。
それにそもそもそれらは目的というよりは、
行為の結果として得られるものだと思います。

何のために作品を作り、発表するのか、
それが年を追う毎に分からなくなってきています。
それでも僕を動かしているものは、
大切なものを形として遺したい、という気持ちです。

どうしても形にしてそれをこの世の中にものとして
存在させたい。
そういうものが僕の中にはあるんです。
その、形になったものが売れるかどうかは分かりませんし、
自信も無いのですが。
その形になったものを伝えたい、というよりも遺したい。
今の僕にはそれが全てです。

そのためには分野や素材が変わっていくかもしれません。
僕がそれをやらないと、その原型は時の経過とともに
忘れ去られ、無かったことになっていくでしょう。
そうしたものは、この星が出来て人類が誕生して以降、
限りなくたくさんあったと思います。

埋もれていきそうなドラマ。
それを形にするのが僕の仕事だと思っています。
それはある種の供養に近いのかもしれません。

最近つくづく思うのは、僕はあくまでも機械、フィルターにしか
過ぎないということです。
などと書くとちょっとオカルトっぽく思われるかもしれませんが。

「何かに作らされている」感覚があります。
材料は僕の中にあるのですが、
それを使って作らされているように感じます。
しかし、芸術家というのは多かれ少なかれ、
そうした部分があるような気がします。

僕らは単なるペンです。
インクは自分の中にありますが、
誰が補充してくれているのか分かりません。
手の中に握られ、動かされ、インクを放出する。
そんな存在なのです。
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