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Weblog_ShinobuTERADA

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外国語。

2019/02/09 06:00
海外の女性歌手が日本語のタトゥーを入れ、
そのことが某SNS発で話題になりました。

今回の騒動がきっかけで、
その方は日本語の勉強を止めるという。
とても悲しいことです。

SNSで多くの人が事を大きくし過ぎたというのも
ありますけど。
そっとしておけばいいのに、騒ぎすぎという。

いずれにしても、
人が一生懸命取り組んでいることを馬鹿にする。
日本人のかなり良くない部分です。

この国は長い時間をかけて経済大国らしきものに
なりつつありました。
今はもう駄目ですけど。
その過程でいつか傲慢になってしまったのでしょうか。

自分のことでアレなんですけど。
僕も英語の勉強を続けていて、
人前でコケにされたことがありました。
日本で、複数の美術関係の人たちに。
とても悔しかったですし、腹が立ちましたし、
悲しかったです。

「問題は語学が出来るかどうかではなく、知性だよ」
という人もいました。
でもそれって、既に出来るからそう言えるんですよね。
必死で取り組んでいる人間からすると、
単なる上から目線でしかなく。

結局僕も、その悲しい思いをした場所には
行かなくなりましたし、
その周辺には関わらなくなりました。
だから某歌手の方の気持ちは痛いほど分かるつもり。

子供の頃に親から同じ思いをさせられているので、
その記憶が刺激されたのもあるかもしれません(自分の話)。

良い意味でも悪い意味でも、
勉強になりますね、こういう経験って。
自分自身は気を付けよう、と思えますから。

からかうとか、馬鹿にするつもりはなかった、
というのもありがちな言い訳ですが、
それはもう想像力といいますか。
早く、深く想像すること。
これからの時代により一層重要になってくる能力かと
思います。

自戒の念を込めて。
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インフル中。

2019/01/22 16:46
絶賛インフル中です。

お医者さんで熱を計ったら、
40度近くありました。
インフルエンザなんて随分久しぶりな
気がしますが、
休め、というサインだと捉えて
養生したいと思います。
心身共に疲れが溜まっていたので。

それにしてもしんどい(笑)。

画像
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ぶっ壊。

2019/01/13 04:59
積み上げたものぶっ壊して、
という歌詞が某ミュージシャンの某曲に
あったと思うのですが、
結構好きなフレーズなんですよね。
(ファンというわけではないのですが)

日常を送っていて、
何か変化が、
マンネリ化した日々に突破口が欲しい、
そう感じる人は多いと思います。

僕は、
作品制作をしていてこのフレーズが
時々ふっと頭を過ります。
そして、
何か全く違うものを作りたい、
自分のスタイルからはみ出したい、
ぶっ壊したい!
という気持ちになります。

でもこれ、実際はかなり難しい。
というか不可能だと思います。
何故なら、作品制作の根底には
その作家ならではの何かが地下水のように
流れ続けているからです。
その地下水は、作家の生い立ちや経験
という源から湧いたものです。
何をやっても「らしさ」は出てしまうものです。
それに「全然違うことをやってやった!」と主張しても
結局その人の思いつく範囲のものですから。
素材やジャンルが変わったとしても。

無理をして変化を起こそうとすると
不自然な作品が出来たりもします。
流行を追ったり、名誉やお金を求めたり。
全て作品に出ますからね、
見れば分かってしまうのは怖いものです。

制作の経験を重ねていくと
その分当然時間が流れていきます。
すると、その過程で様々なことを吸収したり
学んだりしますよね。
インプットというか。
それら栄養分が積み重なって染み渡れば
変化は自然に訪れるかと。
そこには時間も努力も必要ですが、
無理は禁物です。

そう、特に時間は必要ですね。
僕はこの二年間ほど、
内面を熟成させることに専念してきました。
しかし、
今年はそれを放出することが出来そうな予感が
しています。

久しぶりに個展を開きたいとも思っていますが、
どうなるかまだ分かりませんね。
内容も形態も場所も。
でも希望はあります。
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大きな流れに対して。

2019/01/10 03:46
創作行為を始めると、
どんな分野でも所謂「メジャー」とでも
いうような大きな流れがあることを
知ります。

美術にしてもそうで、
私はその流れを遠くから眺めているだけ、
そんな気持ちになります。

以前は自分も何とかしてその流れに
入りたいものだと思い、行動してきました。
しかし結果としてはそこに近付くことも出来ず、
気持ちは焦るばかり。
作品もおかしな方向に行ってしまったり。

ここ二、三年ばかり、
美術作品の発表のペースを落としていました。
このままだと行き詰るという思いがあり、
実際行き詰まりかけていました。
何をどうしたらいいのか、
そんな状態にまで陥ってしまい。
美術業界内の人間関係に悩んでいたこともあって
休止せざるを得ませんでした。

しかし、ネガティブなことがきっかけで
じっくり物事を考えることが出来るようになりました。
時間が取れるようになった、というのと
嫌な目にあった結果、
様々なことにより一層疑問を持つようになったからです。

人間というものについて、
社会について、
人と人との関係性について。
等々。

美術の世界を離れたところから
見つめることが出来たと思いますし、
今もそうした視点を持っています。

大きな流れ、というものはやはりありました。
でも現在は、それへの興味が失われたようです。
冷静な目で見ていると、
無理をして自分を曲げてまで
その流れに巻き込まれたいのか。
自分のやるべきこと、やりたいことを
率直にやるべきではないのか。
そんな考えを抱くようになってきたのです。

作品が売れたらいいな、という気持ちは
正直あります。
しかし、まず意識したいことが幾つか。
芸術家の役割、自分の役割は
何だろうか?
そもそも、
お金や名声を得ることが目的ではないはず。
太古の昔から芸術家というものが存在しているのは、
確かに特殊な使命があるからでは。
例えば、吟遊詩人や道化のように。

この時代の中で、感覚というアンテナを信じて
作品を作っていくしかない。
大切なものを失わないように。
そんな素直さに包まれています。
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時の経つスピード。

2019/01/07 03:02
いやもう、あっという間に一年が過ぎて
年が明けてもう七日目という(笑)。

年末年始は慌ただしくもありますが、
ふとした隙間に過去のことが入り込んで
思い出したり。
過去といっても美しい、楽しいことばかりでもなく
当然つらく悲しいこともあるわけです。

でもその二つはセットになっていて、
「あのときしんどかったけど、助けてくれた人も
いたなあ」と
暖かい気持ちになったり。
コインの裏表みたいな。

たまに蘇る記憶は、
子供の頃のことと、学生時代、そしてその後。
それぞれにポジネガの両面があります。

大学卒業後、デザイン学校に入学したものの
在学中に心身ともに病んでしまい。
その頃は都内で独り暮らしをしていたのですが
卒業後、実家に戻ることになりました。

そこから社会復帰まで、
かなり長い時間がかかりましたし、
今でもへばってしまうことがあります。

実家に戻るのは苦渋の決断と言えました。
そこからは地獄の始まりで。
もう駄目かな、と何度も思いました。
そんなときでも、デザイン学校時代の友人たちが
遠くから遊びに来てくれたり、
展示などに誘ってくれたりしました。
それがとてもありがたかったんですよね。
社会と辛うじて繋がっている実感が持てて。

(その頃から作品を制作し始めたのですが、
それについてはまた)

まさに暗黒時代で、もう二度とその頃には戻りたくない
とも思いますが、
そんな時期だっただけに人の暖かさが身に沁みました。
その友人たちとは今でも交流があって、
会うたびに勇気付けられています。

つらいときに励まし合える関係性の尊さ。
こんな自分にもそういう人がいてくれるのが
なんか奇跡のようで。

ここ数年も波はありますが、
いつどこで知り合ったとか、
付き合いの長さなど関係なく、
変わらない態度で接してくれる人の存在は
感謝してもしきれないものです。

どん底の季節を忘れずに、
自分自身も暖かい気持ちを失くさないようにしたい。
そんなことを思う年始です。
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後悔は。

2019/01/04 03:50
生きていれば、
後悔することはたくさんあると
思います。
今までのことはさておき、今後のこと。

色々と心配事など抱えてまして、
人間関係に於いて。
そこには感情がありまして。
主に怒りなんですけど。

器の大きい人間ではないので、
容易に人を赦せなかったりします。
自分も大したものでもないんですけど。
聖人君子なんていませんしね。

でも、その憎んでいる対象になっている人が
もしも亡くなった場合、
赦してあげれば良かった、と
後悔するような気が最近はするんです。
絶対赦せないような人もいますが、
それはもうレベルが違うといいますか。

いなくなってから後悔するような人って、
きっと憎しみだけではないんでしょうね。
謂わば、愛憎。
その人に対して、
今は憎しみが大きなウェイトを占めているように
見えても、
その裏側には同じくらいの面積で
愛情がひっそり隠れているのかも。

だから表面の憎しみの行き場が無くなって
ぽろり、と剥がれ落ちたときに
ひっくり返った裏側の愛情が表に出てくる。
そこで初めて後悔する、というような。

人を失ってから気付く。
でも気付いても既に遅くて、その人はもういない。
二度と会うことが出来ない。
そんな思いはもうしたくないんですよね。

裏も表も憎しみでべったり、な人って
本当にごく僅かだと思います。
それも時間が経過したり、
何かのきっかけで1%しかなかった愛が
じわじわ広がっていく可能性もあるような。

たぶん、基本的には人を信じたいのだと思います。
それだけに裏切られたり、
手酷い目に遭うとショックを受けるのかと。
別に自分が純粋だとか言いたいわけではなく、
甘ちゃんなんでしょうね。
ナチュラルボーン甘ちゃん(笑)。
いい年をして。
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いやなこと。

2019/01/03 01:24
年明け早々から、あーあ、という。

以前からとある年上の女性アーティストから
度々セクハラを受けていたのですが。
僕はそれが嫌で嫌で、
周辺のコミュニティからしばらく離れていたんですね。

その人はエリアで顔の広い人なので
集まりがあると会う確率が高くなってしまう。
でも出席せざるを得ない場合も多い。

久しぶりに会って、
久しぶりにセクハラされました。
この人は何も学習してないんだな、と。

本当に嫌で、
何度か本気で怒ったのですが
へらへら笑うだけで効果無し。
かまってほしいんでしょうけど、
逆効果なのが何故分からないのか。
そんな人間に対して好意を抱くわけが
ないのに。
幼稚で寂しいのでしょうかね。

そういう人を許容してしまう、
そのコミュニティにも問題があると思う。
どんな人でも受け入れるのが
器が大きいということではないでしょう。
多様性が成立するには知性とデリカシーが必要。
僕の他にもセクハラを受けている男性がいる、
ということもありますし。
虚言や暴力の被害にあった人もいます。
何らかの対策も取れないとは、一体。

やはり、
嫌な人、嫌な場所には近付くべきではない。
そこは妙に優しくなってはいけない。
相手にしないで距離を置くのがいちばんですね・・・
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